佐藤商事は昭和 5 年(1930 年)、佐藤ハガネ商店という名の小さな鋼問屋として東京の日本橋茅場町で創業しました。以来 90 有余年、私たちが取扱う商材は、鉄鋼、非鉄金属といった金属材料にとどまらず、産業機械や電子部品、家庭用品など多岐に渡るようになりました。
そして、その販売領域は、国内全域のみならず、アジアを中心に多くの海外諸国にまで広がっています。
時代が移り変わっても、どれだけ商材が多くなっても、どこの国にいても、佐藤商事の「流通・サービスを通じて広く社会に貢献する」という理念は変わりません。私たちは、この言葉を胸にこれからも歩みを続けます。
7大鉄鋼商社の1社である佐藤商事は、鉄鋼部門をはじめとして、全部で6つの事業部門を展開しています。
個性豊かな部門同士が影響し合うことで様々な可能性が生まれ、多様な知識・スキルを得て、お客様のご要望にお応えすることができるのです。
初代社長
佐藤 昌二
1923年(大正12年)、山形から上京。鋼材販売業を営んでいた草刈商店に丁稚奉公することになる。
翌1924年、草刈商店が営業権を譲渡して設立された合資会社三国商店にて、引き続き鋼材販売担当を務める。
1930年に三国商店が八丁堀から神田に移転。その際に鉄鋼部門を切り離し、2年の兵役を終えた佐藤昌二氏が営業地盤をすべて譲り受けることになる。
茅場町に「九尺二間」の狭い店を借り、1930年2月、佐藤ハガネ商店(1949年佐藤商事株式会社に)を設立した。
「日本一のハガネ屋になる」と常々周りに言い、秋元正雄氏いわく「体躯堂々たる好男子」で「酒量も多いがのどもよく大人(だいじん)の風格」がある人だった。
二代目社長
秋元 正雄
1926年(大正15年)、山形から上京。丸善の重役でもあった伴亀之助氏の紹介で合資会社三国商店に入社した。
入社当時は、鋼材を積んだ大八車を曳いて配送業務を担当。仕事の傍ら、中央商業学校(現在の中央学院大学中央高等学校)、明治大学の法学部で学び、弁護士を志した時期もあった。
自転車の組み立てや、軍用飛行機のエンジンのちょっとした修理もできるほど、何事にも勉強熱心。
1934年(昭和9年)、佐藤氏が経営する佐藤ハガネ商店に移り、戦後の混乱や佐藤初代社長の逝去を乗り越え、佐藤商事を育てていく。
「個人であれ、法人であれ、ひとりでは生きていけない」
「正直者が馬鹿を見ない会社、働く人が正当な報酬を得られる会社が私の理想です」
1930年 佐藤商事株式会社の前身・佐藤ハガネ商店を創業
昭和恐慌の最中、わずかな坪数の事務所と自転車で
歴史が幕を開けました。
1945年頃 特殊鋼販売の売上高でトップの地位を占めるようになる。
1946年 鋼材だけでなく農工具やカトラリー、食器類を扱い始める。
外国人用ホテル向けの銀メッキ金属洋食器を一括落札
1947年 貿易課を設置して海外との取引を開始
1949年 佐藤商事株式会社を設立
目覚ましい成長を遂げ、現在の佐藤商事株式会社が誕生しました。
1956年 高級洋食器の生産を開始、ホテル業界に進出
日本全国に支店の新設、自社洋食器工場の設立全国各地に支店が
配置され、よりお客様の近くでお役に立てるようになりました。
佐藤商事の特徴のひとつである「拠点数の多さ」は この時代から
始まります。
1962年 東京証券取引所第2部上場
1988年 東京証券取引所第1部上場
国内拠点の新設と海外拠点の新設
日本国内の支店新設はもちろん、アジアを中心とした海外にも
拠点を新設してきました。
2010年 本社を東京都千代田区丸の内に移転
迅速な対応を可能にするため、利便性の高い東京駅近くに
本社を移転しました。
ターミナル駅である東京駅は空の玄関口へのアクセスもよく、
新幹線改札口も近いためスムーズな移動が可能になりました。
2020年 創業90周年
皆さまのおかげで創業90周年を迎えることができました。
これからも「流通・サービスを通じて広く社会に貢献する」
佐藤商事であり続け、さらなる成長をお約束します。
2022年 プライム市場上場
佐藤商事はユーザーやメーカーの系列に属していない独立系商社。いつもお客様のニーズに合った商品を自由に発想し、提案することができます。
佐藤商事は金属材料を中心に 6 つの事業領域(鉄鋼、非鉄金属、電子事業、機械、ライフ営業、営業開発)を有しています。互いに情報を共有して、経済の変化に対応します。
佐藤商事の国内拠点数は 41 か所。全国を地域密着でユーザーニーズを捉えます。また、海外拠点はアジアを中心に 20 か所。毎年のように新しい国、地域にフィールドを広げています。